ノートの行方

最近また万年筆で書くようになって、イタリック書体の練習も兼ねてエッセイなりジャーナルなり書いてみようと思い立った。ところが何を書いて良いのかさっぱりわからない。

そう言えば、とン十年前から書き溜めた仕事ノートを引っ張り出してきて、最初の方のやつを見るとびっくり。字がキレイだった。

確かに自分の字だけどこんなにきれいに丁寧に書いてたのか。文章力も筆記力も今はすっかり退化してるよね。

ノートを年代順に辿って行くと途中で数年途切れる。PCを買ってToDoソフトとか買えばなんでもできると思ってた時代だ。ノートもいらない。全部パソコンで管理。効率良いしスペース取らないし。

ところがあの当時のデータって全く残ってない。せっせと努力してコンピューターにいれるだけいれて、後にはなんにも残らなかった。 自分が何を考えて何をしてたかとか消えてなくなってしまった。 まさに空白だ。

その後一旦ノートに戻るが、また短いギャップがある。スマートフォンを使い始めた頃だ。だがまたすぐノートに戻っていった。意識してなかったけど今はスマートフォンはリマインダーとか「消えてなくなる事」にしか使わない。

思えばパソコンも何台も買い換えて来たけど入れたデータは全く残っていない。ン十年前に細かい字で書いたノートはまだ残っているのに。テクノロジーは便利だけどフィルム写真やノートのように何かを残すのには全く向いていない。

VHS、ベータマックス、フロッピーにハードディスクも未来につながらないものだった。そんな何も残せないテクノロジーに頼らず自分のために何かを残さないと全部消えてなくなってしまう。

だからノートとかフィルム写真なのだ。