鶏肉 Sous Vide

カミさんが家出した。テニスの全国大会とやらでフロリダ遠征に行ってしまったのだ。

ふだん食事はカミさんが作ってくれるのだが、実は自分はけっこう料理好きなのだ。カミさんがいないとなると美味いもの作って楽しみたくなる。

今日は午後に出社予定だったので朝のうちに鶏の胸肉を調理した。自家栽培のローズマリー、タイムを採ってきてオリーブオイル、海塩とテリチェリー黒胡椒だけで味付けして真空パックし、華氏149度の温水で1時間ちょっと火を通す。

Sous Videは真空調理のことで食材を袋にいれ肉が硬くなるちょっと手前の温度まで加熱した水の中で調理する。真空パックはしなくても良いのだが自分はこの方がハーブが行き渡ると思う。そういうことにしとかないと真空パック器使わないままだし。

昔、凝ったレシピが良いんだと思ってた時代があった。だがシンプルな料理だと火の通し方や自分のセンスで美味い不味いが決まるのでかえってそのほうが楽しいと思うようになった。Sous Videだと加熱にあまり気を使わなくていいから楽だ。

真空調理が終わったら煙がでるぐらい熱くしたフライパンでさっと片面20秒ほど火を通す。

ハーブが香ばしく、フォークで切れるぐらい柔らかく、中までしっとりとしたチキンブレストができた。

ランチに食べたけど美味かったわぁ。さっきカミさんに写真送って自慢しといた。さて明日はどうしようかしら。タジンで魚料理なんかどうだろう。

意見を捨てる

SNSやブログは個人が好きなことを発信できる。自分みたいにカメラだの万年筆だのと書いてる人たちもいれば、いろんなことに厳しい意見を呈する発信もよくある。

ツィッターなんか知らない人の厳しい意見がどんどんリツィートされて流れてくる。まるで意見の洪水だ。

アメリカの作家ジョン・グリーンが講演で言ってたことなのだが、インターネットのせいでみんなどうでも良いことに極端な意見を持ち他人に押し付けたり議論するようになってしまった。

極端な意見は時間とエネルギーを使う。幾多の極端な意見を持つのは膨大なエネルギー消費になるのだ。どうでも良いことに極端な意見を持つのは人生の浪費じゃないのか。

だからジョン・グリーンはどうでも良いことに意見を持つのは辞めることにしたのだそうだ。本当に大切な事ってのは幾つもない。どうでも良い意見を主張して浪費する時間、思考、エネルギーを本当に大切なことに集中すべきじゃないか。

ジョン・グリーンの言うとおり。プロレスは八百長だとか、カレーとご飯は混ぜないで食べろとか、みんな真面目に言ってる意見ってどうでも良いことばかりじゃないか。

あ、でもアイスクリームはバニラ味以外認めないですから。

ブリート

メキシカン料理にブリートというのがある。スペイン語だがアメリカのメキシカン料理なのでブリートという日本語は英語由来だと思う。英語だと最初の音はブよりバに近くて「バリート」が近い。

この「ブとバの中間でバに近い音」は乗り物の「バス」とか「バター」の発音と同じだ。「バズる」の「バズ」も同じだ。なのにブリートはブになる。

これにはいろいろ理由があるようだが、同じ外来発音が日本語に入っていくとブになったりバになったりする。なかなかおもしろい。

ところで先日ツィッターで「コーヒー」って日本語は発音が間違ってるというツィートを見かけた。

言葉は人がやり取りするもので理解し合うために相手がわかる言葉で話す。日本語で「コーヒー」はみんな同じものを思い浮かべる言葉だ。英語で暮らす自分でも日本語だったら胸張って「コーヒー」でいいと思う。

これは逆のケースでも同じだ。アメリカの日本文具・アニメファンの間には日本語が浸透している。そして彼らに取り込まれた日本語は元の発音とかけ離れた言葉になっている。

例えば日本のメーカーで「ブングボックス」というのがある。アメリカ人には「バングーボックス」と言わないと伝わらない。

パイロットのインクに「紫式部」や「孔雀」と言った商品があってアメリカでそのままの名前で売っている。これも「シッキーブー」とか「クウジャクウ」になってしまう。自分も英語喋る時はそう発音するようにしている。さすがにちょっとこそばゆいけど。

唯一アニメ系外来語の「ヘンタイ」は特別だ。ほぼそのままの発音と意味で英語で通用する。日本のヘンタイは言葉の壁を越え世界に羽ばたいてしまったのか。