酒場の看護兵

何年も行ってないからもう無いかもしれいないが、サンディエゴに沖縄出身の女将さんがやっている呑み屋があった。

女将さんの事は、今はない日本レストランでかっこいいバーテン姐さんやってた頃から知っていた。 若かった自分は気後れして前のカウンターに座ることもできなかったが、長い年月のうちに顔見知りになり、アメリカ人っぽくファーストネームで呼ばれるようになり、そして女将さんが自分の店を持ってからは古株ぶって顔を出したりしていた。

その呑み屋の小さなカウンターの隅でバーボンをちびちびとやっていたある晩、女将さんが、隣に座っている20代と思しき若い日本人男性をわざわざ紹介してくれた。

そんな事は滅多に無いことだが女将さんはその子を気にしているようで自分にその子の話し相手になって欲しい風だった。

その子は日本語はもちろん流暢なのだが、べらんめえ英語もやたらと上手だった。聞くと彼は日本で米軍に志願したのだそうだ。なるほど米兵米語がペラペラな訳だ。女将さんには彼の素性がわかっていたのだろう。

彼は数年前に米陸軍に入隊して看護兵になり、アフガニスタンに配属されていたと言う。二人でぼつぼつと話しをしながら、実戦をかいくぐってきたんだ。大変だったろう。と聞くと、

「とんでもない世界っすよ」と言う。

そうだろうね、とうなずき返すと

「ブラッドリーとかあるじゃないですか」

あぁ兵員輸送車ね。

「乗ってて止まると恐怖なんですよ」

なんで?

「突然かんかんかんかんって座ってる後ろの装甲板に着弾音がして」

ええっ?

「いつ床下が爆発するかロケット砲打ち込まれるかって必死でこらえて」

「つぎの瞬間近くの車両が爆発して」

「メディック!って呼ばれて」

「酷いんですよ」

彼は流暢な米兵英語に切り替えてファッキン・シット・サノバビッチを混ぜながら前線経験をいろいろと話してくれた。彼にとってアフガンの強烈な経験は英語だけで記憶している世界で、英語でしか上手く伝えられないようで、そういった経験をしゃべっている時、彼は表情も仕草も米軍兵士そのものだった。

米軍に志願した外国人は兵役を務め上げたら米国籍がとれる。彼は私が米国に帰化した日本人だと知ると、除隊して帰化したらアメリカでどんな仕事ができるのか、どこに住むのが良いのだろうか、と自分の未来の事を真剣に聞いてきた。

ひとしきり話し込み、すっかり夜もふけた。 もうすぐ店じまいになろうという頃、じゃ帰るかなと言うと彼は、友達になってくれませんか? とふつうの日本の若者の笑顔で問いかけてきた。

もちろんだよ、と答えたのは憶えている。

それ以来彼とは一度も連絡が取れないままだ。

 

ノーは「はい」か
世界は自分の牡蠣だ

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