筆記体の歴史感覚

英語には活字体と筆記体がある。子供は活字体から習うのだが、大人が筆記体を書くのでませた子供はみんな筆記体で書きたがった。自分みたいにちゃんと教えられないうちから見よう見まねで変な字で書くようになった子供は多いのではないか。

欧米人にはミミズがのたくりまわったような字を書く人が多いが、多分その辺が原因かと思う。

歴史的に意味のある文章、例えば米国独立宣言の原文は筆記体で書かれている。その筆記体だが、アメリカの学校で教えなくなりつつありいろいろ議論になっている。

日本では昔の草書の読み書きや仮名遣いは普段使わない。学校でも詳しく教えない。過去は過去で現代は現代、とある意味潔く割り切っていると思う。

現代の筆記体は19世紀に確立されたスペンサリアン・スタイルから来ている。フォードやコカ・コーラのロゴの字体はスペンサリアンだ。だからいまだに筆記体を極めたいアメリカ人はスペンサリアンを学ぶ。逆に言えばアメリカ人の筆記体の正統スタンダードは160年間変わっていない。

1840年と言えば日本で言えば江戸時代、天保の改革の時代だが、アメリカでは今もアマゾンプライムで19世紀出版のスペンサリアン教本を当たり前のように売っている。しかも何百もの高レビューがついているのだ。

日本と比べればアメリカの歴史ははるかに短いのだけど、1840年代の筆記体をスタンダードと捉えるアメリカ人は意外と過去と強く繋がっている。