当初は投資口座に入金するのに毎月小切手を郵送していた。当然残高も今のようにネットで毎日見たりなんてできない。月末に紙のステートメントが郵便で送られて来て、残高を見て喜んでいた。
だがしばらくすると運用益が乱高下して、時には元金割れもするようになった。 呑みながらデーブにどうなってるんだと聞くと、投資とはそういうものなんだぞと説教された。
ピルグリム・バクスターファンド
ピルグリム・バクスターは今でいうグロース株投資の先駆けだったファンドだ。急成長して収益予測を上回りそうな中堅どころの上場企業を探し出し、株価の高騰を狙うスタイルだった。丁半バクチみたいなもので投資した株が暴騰することも暴落することもある。だから変動が激しい。
当たってるうちは全米No.1のファンドだったのだけど経済状況がそぐわなくなると市場は上がっているのに運用益が出なくなった。今のキャシー・ウッドみたいなものだ。
知識の無い自分には理解できず、わかってるように見えたデーブも今思えば大してわかっていなかった。
ドットコムバブル到来
そうこうしているうちにドットコムバブルが到来した。テック産業が脚光を浴び、ナスダック市場は連日上がり続けた。
自分の街サンディエゴにもバブルはやってきた。リンカビットというデジタル通信会社の研究所があり、そこから独立した人たちが細々とやっていたクォルコムと言う小さな企業があった。サンディエゴに日本の携帯関連企業が進出する前の話だ。
当時はワイヤレス産業と呼ばれた携帯電話のデジタル通信方法を研究開発してたクォルコムは業績が悪く大規模なレイオフで倒産が取り沙汰されていた。
それがドットコムバブルであっという間にものすごい成長を遂げた。
クォルコムのあまりの成長ぶりに一時期サンディエゴはなんでもワイヤレスと名乗れば金融大手が先を争って投資するような状態だった。
自分は当時、損保関連情報処理の会社で働いていたが、チームのプロダクトマネージャーまで勝手に役職にワイヤレスをつけて上司に叱られていたぐらいだ。
イートレード試運転
この頃まだ目新しかったオンライン株取引のイートレードでわからないまま株を買ってみたりした。今では考えられない額の手数料がかかったが試しで投資してるつもりだった。
自分のパソコンから株が買えるのは信じられないぐらい便利だった。
ピルグリム・バクスターも一転絶好調になり、一年で倍増するほどの運用益を上げた。
ドットコムバブル消滅
だがほどなくしてバブルはあっけなくはじけた。すぐ後に9/11テロも起きた。
株市場の上がり方は急だったが下がり方はもっと急激だった。イートレードで買った株は二束三文になり、ピルグリム・バクスターの運用額もあっという間に下落してしまった。