Ruins

廃墟写真と言うのがある。人が住まなくなって朽ち果てた建物とかの写真だ。自分は好きなのだが、どれでも、というわけではない。

そういった写真には二通りあるようだ。

ひとつは廃墟の「朽ち」、ぼろぼろになったさまを撮っているもの。おどろおどろしくて画になる。鳥肌が立つ怪談みたいな恐ろしさ。 いやおぞましや。

でもそういうのにはあまり惹かれない。逆に自分が惹かれるのはそこに居た人達と過ぎ去った時間を写しこんだ、そんな廃墟写真だ。

例えば朽ち果てたデトロイトの歴史的建造物を撮った Yves Merchand & Romain Meffre  の写真。80年も前の劇場やホテルの廃墟がある。いろんな人達が集まり華やかで活気があったろう当時の豪華絢爛さ、その面影をとどめながら朽ちて行く建物達の写真だ。

イギリスの写真家で戦争中に築かれた塹壕や構築物の廃墟を撮っているMarc Wilsonという人がいる。 彼が4x5で写す塹壕やトーチカは戦争の破壊に耐えうるために作られたのだが、今は静かに風景と一体化し、ゆっくり朽ちはてていっている。

そういう写真に惹かれるのはなぜだろうか、ときおり不思議に思っていた。

風景と一体化したような廃墟達はおどろおどろしくもなんともないようだ。いつもそこにあったのにいつの間にか使われなくなり、息を潜め、歴史のページをめくっていくかのように静かに朽ちて消えていく。

そしてそれは大切な物を失っていくような、そんな気持ちと似てるからではないか、と最近思うようになった。そしてなんとなく納得した。

撹拌しないぞ
十月五日

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