日本語に「道」という概念がある。道路じゃなくて柔道・華道・剣道とかの道だ。道を極める、の道だ。

日本語にこの「極める道」は普通にでてくる。誰と話しても通じる。子供でも知ってる。

だけど、この「道」って自分は誰かに教わった記憶がない。学校で教えるようなことでもない。真髄を極めるための「道」があるって最初に理解したのは何歳ぐらいのことだったか。

抽象的で見ることも触れることもできない。教えられもしない。なのに「道」は日本語を喋る人たちには普通に通じてしまう。

テレパシーでみんなに伝わるのだろうか。それともDNAにプログラムでもされてるのか。考えてみると不思議な話だ。

でもこの道は何にでもある訳ではないようだ。例えばアメリカで暮らすには極める道はあるのか。「アメリカ生活道」とか変な気がするから多分無いのだろう。

道が無ければ自分で道を切り開いていかないとならない。道の無いところを行くのは必ずしも楽ではないのだけど、それはそれで楽しめる人生もあると思う。