成果主義のアメリカで成果を出し続ける人が落後する理由

日本のメディアを見るとアメリカは成果主義、みたいなことをよく書いてるよね。能力主義。実力主義。成果主義。でもアメリカでン十年間仕事をしてきて数字の成果がすべてだったかというとそうでもない。

もちろん成果をあげられない人が切られるのはそれなりに見てきた。でも一見成果をあげているのに落後したり転職していく人たちもけっこういる。思うように評価されず次のレベルへ上がれないケースだ。

最近のハーバード・ビジネス・レビューでまさにそれに言及している「なぜ高効率なリーダーは失敗するのか」という記事があった。

Why Highly Efficient Leaders Fail

なぜこういうことになるのか、この辺を米国のソフト開発やオペレーション分野のマネジメントで見てきた経験から考えてみたい。

スケールアウト

IT分野の人なら知ってることだけど、一台のコンピューターを高性能化するには限度がある。そこでスケールアウトという手法がとられる。

スケールアウトとはコンピューターの台数を増やして処理を分散・並列化させて全体の性能を上げることだ。

人間の組織でも同じことだけど、このスケールアウトができない人というのがけっこういる。

マネージャーが成果を出す一番の近道は部下や周囲をプッシュするやり方だ。業務を細かく指図するマイクロマネージャータイプに多い。

これは確かに眼の前の数字達成には効率的だ。でもマイクロマネジメントは一人に判断が集中してボトルネックになる。自分でなんでも抱え込んでやろうとする人も同じだ。スケールアウトできないから大した成果があがらない。

こういったマイクロマネージャーは多くの場合いくらでも代わりがいる。でも本人は自分の存在が必要で評価されるべきと思い込んでいる。成果を認められれず失意の内に転職していく人たちは、自分個人のアウトプットを成果だと思いこんでいる人たちが多かったと思う。

デレゲーション

マネジメント手法の一つとして英語でデレゲーションという言葉を使う。

デレゲーションは名詞。デレゲートが動詞ね。「結果を出すことを任せる」というニュアンスで使われる。ただ任せるのでなく結果を出すことを任せる、というのがポイントよ。

任せると言っても、計画段階から進捗をチェックするし定期的にワン・オン・ワンと呼ばれる面談で部下の話を聞いてつながりを保つ、といったパターンがスタンダードだと思う。

自分が見てきた優秀な人たちは、さらに上手にデレゲートをしていた。出すべき結果を考えて行動する。これを分散・スケールアウトしているチームは安定して成果を出せる。

逆に成果を出していても「デレゲートができない」と言われてる人が仕切るチームはその人次第で話が変わる。何回も確認が必要だったりと危なっかしい。成果を出していても評価されない良い例だ。

アカウンタビリティ

分散処理がうまく行っているチームでもふつうに問題は起きる。任せた仕事に問題があったら責任は誰が取るのよ。

デレゲーションにつきものなのがアカウンタビリティだ。アカウンタビリティとは日本語で「説明責任」とされているが自分の知ってる限りではちょっと違う感覚で使う。

責任はレスポンシビリティーと約されるけど、レスポンシビリティーは実行責任、アカウンタビリティーは最終責任といった感覚だ。

日本語で言うならアカウンタビリティーは問題が起きた時の「切腹もの」という感じに近い。じっさいにアメリカ人は切腹を知ってる人は多いから、アカウンタビリティーは「失敗したらマネージャーがセップクすることね」で通じると思うよ。

とは言うもののいざ問題が起きたときに誰かのせいにしたくなるのは人間の心理だよね。「あいつが自分の言うとおりに動かなかったから」と部下に責任転嫁をする人ってアメリカにもいるよ。

デレゲートをする人にはアカウンタビリティがある。責任は任せた側にあるのよ。デレゲートした仕事の失敗を責任転嫁する人は信頼されない。

成果主義の現実

総じてアメリカで上へ行く人は、デレゲートして集団を動かす力とアカウンタビリティに基づいた行動で信頼されるリーターシップを持っている。

さらにレベルが上がると、部下がデレゲーションやアカウンタビリティーのスキルを身につける環境作りやゴールの設定といったことが評価される。これをアメリカでは部下を、メンタリングする、とかグルーミングする、と表現する。

この手の成果は数字にできない。でも結果は歴然と出る。

思うに日本でもこういった事は同じだと思うのよね。組織とはつまるところ人間心理。人間の心理ってアメリカでも日本でも大して変わらないもの。

はっきり言っちゃうと日本で思われてるようなアメリカの成果主義とは、トップの高額報酬を正当化するためや、逆にできない人を切るために設定したハードル、という意味合いが強いと思う。

エグゼクティブでも落ちこぼれでもない、ふつうの人達の成果主義感覚は日本とアメリカでかなり近いのではないかと思う。