フィルムへの希望

昔は写真はなんでも良くって使い捨てのカメラで撮っていた。でも現像に出さないとならないし、山のように写真がたまってしまう。いろいろと不便だった。

デジタルカメラにはすぐ飛びついた。撮ってすぐ見れるしデータにして送れる。信じられなく便利だ。

だが、10年もすればデジタルの一過性に気がついた。媒体はどんどん変わるし、ハードディスクに保管しても数年すれば仕様変更で使えなくなるか故障でデータが消滅してしまう。

デジカメそのものも長持ちしない。高級機も技術革新で翌年は旧型機。電子回路は経年変化でいつか必ず壊れ、プラスチックや合成ゴムは加水分解して粘着物になってしまう。

デジカメで撮った写真は消滅確定だし、デジカメそのものは環境汚染源確定なのだ。そう思ったらデジカメに興味を失ってしまった。

その代わりいろいろ不便だと思ってた昔のフィルム写真の束は、褪せたり変色しても思い出のままにある。今撮ったフィルム写真は20年どころか50年後にも見る事ができるだろう。

自分は50年後にはモウロクしてしまってるかもしれない。それともこの世にはいないのかもしれない。でもそれまでは撮った記録や思い出の写真が自分の手元にあり続けられる。

今、フィルムで撮る意味はあるのだ。 そう思ったらフィルムに希望が湧いてきた。