CZJ テッサー 銀鏡胴 (1)

東独のカール・ツァイス・イエナは1950年代に銀鏡胴のレンズを作っていた。この銀鏡胴のレトロさはたまらなく良い。

もともとワタシは目立ちたくないからカメラは黒、レンズも黒しか使いたがらない。 だが、バルナックライカにエルマーやズミタールを使い出したら、描写に味わいのあるレトロなレンズにはまってしまった。 1950年代の銀鏡胴テッサーも使ってみたいレンズで、先日ネットオークションでM42マウントのを手に入れた。

テッサーはもとは100年も昔の設計だ。 パソコンも電卓さえも無く、手で図面をひいて計算尺で計算し、その後何十年も少しずつ小さな改良がされ到達したのが1950年代の開放F2.8のテッサーだ。 いうなれば何十年もの職人芸の集積みたいなもんでこれは凄い事だ。

そもそもフィルムで撮って自家現像するなんて時代に大いに逆らっている訳だ。 どうせレトロなことするんだったら思い切り目立つぐらいレトロで行くのも悪くない。 と言う事でボディはペンタックスのスポットマチックSPの銀を選んだ。もちろん安い。でもSPは予想してたペラペラカメラではなく、形状も良い、カッコ良いし手に良くなじむボディだ。

で、銀鏡胴テッサーをSPにつけフィルムを入れて、さあ撮ろう!とシャッター切った。 そしたらなんと切れない。 動かない。 バルブにしてシャッターを開けて見るとレンズの後ろに自動絞りのレバーがあたってシャッターがおりないのだ。

M42マウントの事を良く知らなかったのだけど、1960年代に自動絞りが出る以前、つまりこのテッサーのようなプリセット絞りのレンズはSPのような自動絞り機構との干渉が考えられていないから使えないのがあるのだ。 ガックリときて、さのばびっち、とかなんとかブツブツ言いながら代わりのボディーをeBayで物色した。けど銀鏡胴テッサーが使えるM42ボディとなると1960年代以前の東独カメラになる。これはSPにはるかに見劣りするのだ。

まだひたむきだった頃の日本人が一生懸命作ったSPと比べ、東独の古いボディなんてもともと品質には疑問符があるし、もうガタガタボロボロで要修理モンばかりだ。 ジャンクをわざわざ東欧から買うのもばからしい。

昨日の朝、コーヒー一杯飲む間なやんで、結局自分でレンズを加工する事にした。

(続く)